毒親育ち、夫はアスペ、それでも生きる

小さい頃からの生きづらさから 心理学を学んだヒト

安全基地が無い 大人

f:id:minori_casa:20181010171805j:plain小さい頃から、安全基地が無かった者にとって
生きることは、常に、どん詰まり感の漂うもの。

この感情に、名前をつけてラベリングするなら
心理学で言うところの【愛着障害】なんだろう。

安心する場所、居場所だと感じられるベースは
皆それぞれ、色んな要因があるとは思うけど

「自分の中で、基準がちゃんとある」だと感じる。

物事に対して、○○が好き、○○が嫌い、だったり
○○ができた、○○ができそう、だったり

自分軸(自分勝手とは、また違う)で考えられること

自分の望むものが分かっているからこそ
居心地の良い所だと、感じられるんだと思う。

残念ながら、身近な愛する人(親だったり養育者)が
子供時代を安心して過ごしてなかったら

安全基地の無いものが、子供を産み育てることは
とてつもない、困難が付きまとうのだと思う。

私の場合、祖母も、母も、ムスメに愛を貰いたがる
機能不全家族育ちだった、束縛と干渉が凄かった。

私自身もガチガチのアダルト・チルドレンだったし
生まれてきた喜びを、微塵も感じていなかった。

だから、子を産むことは、罪悪感でしかなかった。
この恐ろしい世に、産み落とす申し訳なさで一杯。

にも関わらず、実母が、そう望んでいるから
孫を授けたいと、自分の気持ちを顧みることなく
当時付き合っていた夫と、結婚出産した。

もし、少しでも母との間に境界線があり
共依存の状態を自覚していたなら、きっと私は
妻には、母にはなっていなかっただろうと思う。

愛情飢餓感の強いものは、自分軸が無いから
すぐ人を好きになる、それは愛だと縋ろうとする。

19歳で夫と付き合う迄、私の内面は荒れていた。
付き合ってからも、まだまだ荒れてはいたけども。

自分を一時でも、満たしてくれる人なら
誰でも良かったのだと思う、その時だけ必要と
してくれる人を求めていた。

大切にされている実感が無いから、自分の心も体も
まるで現実感の無いものだった。

あれから20数年たった今、フラッシュバックする
のは、そろそろ棚卸しの時期なんだと思うから

ここら辺も、ゆっくり整理していけたらなと。